【本の感想】上田早夕里 『美月の残香』

上田早夕里 『美月の残香』 光文社光文社文庫)、2008年を読みました。

『美月の残香』は光文社文庫書下ろしです。

☆☆☆☆

香りと香りにまつわるフェチと狂気の小説です。

良かれと思って行ったことがきっかけで、香りを執拗に追い求められます。まともな主人公と、主人公の姉の旦那であり、主人公の旦那の兄でもある男とのやりとりが印象的です。常識的な主人公に対し、香りをきっかけにタガの外れた義兄は時に紳士に、時に倫理を踏み越えようとしてきます。

主人公と義兄のやりとりが実にフェチを感じさせます。じわじわと迫るホラー的な怖さ、残香を感じる独特の読後感が面白いです。

香りフェチとなった義兄の不気味さ

はじめはまともです。しかし、嫁が突然行方不明になったことで歯車が狂い始めます。主人公は善意で姉が使っていたオリジナル香水を義兄へプレゼントすることになるのですが、この香水がとんでもない代物でした。そして、この香水が狂気を加速させます。

精神を落ち着かせるはずが逆に精神を落ち着かなくさせます。義兄は頭の良い人に描かれているだけあって、じわじわと主人公に迫る様は強烈です。

紳士のように見せながらも自分勝手を押し付けてきます。気弱なところを見せて同情を得ようとします。強引な手段に出てきても「必要なのは香りだけ」として倫理的にどぎついことをしてきます。

これらの真綿で首を締めてくるようなやりとりがたまりません。時には主人公を傷つけることも平然と言ってのけ、己の欲をとことんまで追求してきます。しかも一見、紳士然です。それ故、質が悪いです。

双子の兄弟と姉妹の結婚という設定が香りを根拠づけしています。淫靡な感じのするところがまた背徳感を増してきます。フェチでありホラーでありアダルトです。

題名の通り、香水のあやしい残香が義兄を惑わし続けます。この雰囲気が良い感じです。

香りの魔術師

ではその香水を誰が作ったか、材料は何なのかというのが中盤から明らかになります。顧客の依頼に基づいただけとうそぶきながらもあやしく勧誘してくる調香師は、罠へいざなう蛇のようです。

「人間は自分が欲しいもののためならいくらでも卑しくなれる存在だ」と香りに魅せられた義兄は言っていました。しかし、そこにスイッチを入れるようなことが分かっているにも関わらず香りを作る調香師もまた己に忠実です。香りで心の奥底の欲望を掘り起こしてしまいます。

その闇の深さが香りとともに物語を包んでいるようでした。

美月の残香

題名の『美月の残香』の通り、最後まで香りに振り回され続けます。徐々に狂気に陥っていく様、香水とその残香というアダルトな感じ、フェチズムと、物語は終盤に進むにつれて独特の空気が濃くなります。

そして物語が終わっても残香があるように感じます。これはなかなか得難い読後感です。

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