[読書雑文]『明日の朝、観覧車で』片川優子

『明日の朝、観覧車で』片川優子を読みました。100kmウォークに挑戦する高校一年生の物語です。

歩くと思考は内側に

はじめは「なんで、私が、歩いてんだ」みたいなことをぶつくさいいながら自分の家庭環境などを振り返っています。一人なので色々と思うところがあります。しかし、身体の痛みから思考が停止して、ただただ歩く状況になります。

普通は100kmも歩くことはありませんから、そのような状況が続くと身体の痛みは通常では考えられないほどになりますし、そうなると思考の転換があるそうです。主人公は自分の家庭事情がそうでした。

無償の厚意を受けて歩き続け、思索しては雲散し、そしてまた歩き続けて思索する。繰り返しているうちに何かが変わる。まるで修行です。

著者の体験と衝撃から

ほんとうに歩くだけで、大きなドラマもありません。それでもなぜか歩き続ける姿はちょっとした自分探しの旅だと思います。著者は実際に三河の100kmウォークに参加しています。その時の衝撃から書き上げたのが本書です。

著者は「この気持ちを少しでも感じて欲しいと思い本書を書いた」とあとがきに書いています。追体験ができると思いますし、歩いてみたくなるはずです。


[読書雑文]『新版 日本の長寿村・短命村』近藤正二・萩原弘道

『新版 日本の長寿村・短命村』近藤正二・萩原弘道を読みました。36年間かけて990の町村を調査した著者の結論は食習慣でした。

現地調査で共通項を見つけ出す

仕事のキツイと言われる海女でも地方によって寿命がずいぶんと違います。同じような米どころでも違います。短命村の多くある地域でぽつりと長寿村があります。では何が違うのかということを実際に現地へ行って調査し続けています。

その調査内容は環境、迷信、生活事情などです。調べるといくつか共通する項目があり、そこから長寿、短命の食生活を導き出していきます。その語り口はやわらかで分かりやすいです。

食生活は村の歴史

その口調に導かれるように読み進めていく中で出てくるのが村の歴史です。長寿、短命の生活を紐解くと、その村の食生活がどのようなものだったかが見えてきます。そして、なぜそのような食生活になっているのかも見えてくるあたりが面白いです。

その村はなるべくして長寿に、短命になったんだということが分かります。

緑黄野菜、海藻、大豆、小魚が長寿村をつくる

著者の結論は「緑黄野菜、海藻、大豆、小魚が長寿村をつくる」ということです。なぜそのように結論されたかは本書を読めば分かります。

ちなみに男女差についても書かれています。村のしきたりにより男女の食生活に差があれば寿命にも差が出るとのことです。

結局のところ、人の体は食べ物で決まるということなのでしょう。体が何で作られているかを考えると当然の結論です。しかしながら、普段からこの結論をないがしろにしているのであれば、本書に書かれた長寿村の食生活は長生きの手助けになるはずです。先人の知恵ですね。


[読書雑文]『遺品整理屋は聞いた!遺品が語る真実』吉田太一

『遺品整理屋は聞いた!遺品が語る真実』吉田太一を読みました。副題は『消せなかった携帯の履歴、孤独死のサイン、女の遺し物…』です。日本初の遺品整理業を営む著者による遺品にまつわる故人と遺族にまつわる出来事をまとめています。

遺品というデリケートな話

遺品というデリケートなことが発端の話のためか、言葉を選んでどこかしんみりするようなことを淡々と語っています。

その中身は修羅場になるような話やしんみりするような話、本当のところは分からないけれどもギクシャクしていたであろう親族間の話、死に方と場所の環境と遺品の関係など、そういう現場にいたからこそ分かるであろう様々な話です。

必要以上に入り込まない立ち位置のためか、のぞき見するなところはほとんどありません。ただ分かるのは本の題名にも書かれているとおり、「遺品が語る真実」は思った以上に雄弁であることに気づかされます。

そういった出来事の後に、著者がぽつりと語って一つの話は終わります。どこか寂寥としているのが印象的でした。


[読書雑文]『帰ってきたヒトラー』ティムール・ヴェルメシュ(訳)森内薫

『帰ってきたヒトラー』ティムール・ヴェルメシュ(訳)森内薫を読みました。原題は『ER IST WIEDER DA』です。2011年8月30日にドイツで復活したアドルフ・ヒトラーがお笑い芸人としてテレビ、You Tube、マスコミとの論争、右派左派政党とやりとりしていく物語です。

風刺小説

初めは当時と現代のギャップを前にするヒトラーを笑っていたはずが、最後は現代を批判する魅力的なヒトラーと一緒に現代を笑ってしまいます。笑える風刺小説であると同時に、なぜヒトラーが政権を獲るにいたったかが見えてきます。

ヒトラーを笑う

周りの人から見たアドルフ・ヒトラーは、ヒトラーになりきっているちょっと頭のおかしな、もしくはプロ意識が非常に高い芸人という設定です。しかしヒトラー本人は非常に真剣です。周りの人はその真剣さと知識の古さや極端さを面白がっています。

サッカーを楽しんでいる少年に「ヒトラーユーゲントのロナウド!」と呼びかけ、クリーニングの「電撃」という言葉に反応したりと細かい笑いを誘います。

その一方で笑えないジョークも多々あります。「ユダヤは冗談のネタにならない」は、プロダクションの人が言うのとヒトラーが言うのとまったく意味が違うでしょうし、検閲について聞いた時にヒトラーが言う「いいことを聞いた」の意味を考えると、ブラックジョークとして笑うにはちょっと恐ろしいものがあります。

ヒトラーと笑う

下巻ではマスコミと戦い、極右政党に突撃取材をしたり、左派政党との対談をテレビで行ったりと、ヒトラーの本領発揮をするような出来事が続きます。

マスコミや政治を力強く指摘、批難する番組は見ていて面白いですが、本書ではそれをヒトラーでやってしまいます。ホロコースト以外のヒトラーのある種の素晴らしさに引き込まれてしまいます。

ある種の素晴らしさは指摘の鋭さ、現代のリーダーにない力強さと清潔さです。読み進めるうちにヒトラーを笑っていたはずが、いつの間にかヒトラーと笑っていることに気づきます。

極めつけはネオナチに襲われてからの展開です。今後の展開をにらんだスローガンが最後に出てくるのですが、これはもう笑うしかありません。どこまでも皮肉たっぷりです。

ヒトラーはヒトラー

ヒトラーが一人称で語る文章はヒトラーらしさにあふれています。そしてその文章には危ない考え方がちりばめられています。それが恐ろしくも面白く、笑えるが笑えない内容になっています。

ナチとユダヤに非常に厳しいドイツでこの本がベストセラーになったというのはなんとも皮肉です。


[読書雑文]『ぼくはお金を使わずに生きることにした』マーク・ボイル(訳)吉田奈緒子

『ぼくはお金を使わずに生きることにした』マーク・ボイル(訳)吉田奈緒子を読みました。原題は『THE MONEYLESS MAN – A Year of Freeconomic Living』です。イギリスで一年間お金を使わずに生きることにした29歳の若者が実践したお金を使わない生活とその思想について書かれています。

お金を使わないが恩恵は受ける

お金を使わない生活はサバイバルのようなものかと思いますが、実際はそうではありませんでした。著者はフリーエコノミーコミュニティに属しており、同じような思想の仲間と会う機会があるので、孤独に耐えるというのはありません。

食べ物は働いて得る、採取する、街から廃棄物を取ってくることで得ています。お金が無くても生活できることを実験しているわけですが、著者の周りは当たり前ですがお金が動いており、そこからはみ出たものをいただいているわけです。

本の題名の通りお金に対して否定的で、環境を危惧しているわりには普段の生活ほどではないにしても恩恵を受けています。著者には著者の考えがあり、お金を使わないことを徹底をしていますし、その説明もあります。それでもなんともしまらない印象を受けます。

とはいえ、物質主義すぎる状況になりつつある現代を非難する意味ではお金を使わないようにすることは分かります。ただお金を使わないことを徹底しているわりには、お金を使っている世界から派生するはみ出た物を活用することに違和感を覚えます。これではただの自己満足です。

生活にはコミュニティが必要

お金ではなく人ととのつながりです。孤独ではなく、お互いの考えを尊重して譲り合うコミュニティや関係を作ることができるかです。

実験の結論は、お金が無くても周りのお金を使っている社会からはみ出たものを活用すれば生きることが出来る。ただし、その行為に理解のある社会が周りにあり、共感する仲間たちのいるコミュニティが必要ということでしょうか。

「もったいない」とか「自給自足」を実践すればわざわざ実験する必要もないと思うのですが、イギリスと日本は事情が違うのでしょう。著者の思想を理解していないと言われそうですが、環境左翼的、ヒッピー的うさんくささを最後まで感じ続けました。もしくは無邪気な自己満足ですかね。


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