「 2016年12月 」一覧

[読書雑文]『随筆 本が崩れる』草森紳一

『随筆 本が崩れる』草森紳一を読みました。本が崩れて風呂場に閉じ込められた話、著者の少年野球とグローブの話、著者の愛煙する煙草ピースの話など三つの随筆がまとめられています。

積読の話

本の話は話の内容もですが、本が積み上げられた数々の写真に圧倒されます。全体こそ分かりませんが、たくさんの平積みされた本の写真はインパクト十分です。ただひたすらに本、本、本です。

積み上げられた写真を見ると、本が崩れて閉じ込められるというのも分かります。それでもどうしようもないと、本が崩れて風呂場に閉じ込められた話を飄々と語っている著者に苦笑いです。

積読以外の話

一方で、野球と煙草は興味がないので感想らしい感想はありません。本が崩れる話から野球にもっていく流れが強引だと思ったくらいです。著者のファンならまた違うかと思います。


[読書雑文]『電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり紙の本が好き。』日垣隆

『電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり紙の本が好き。』日垣隆を読みました。自称「電子書籍を日本一売った」著者による胸の悪くなる放言集です。

日本一の根拠はなく悪意は満載

酷い本を読みました。

電子書籍に関する書き下ろしが三分の一、残りは週刊誌連載を編み直した内容となっています。その中身が酷い。

電子書籍では著者の取り組みが書かれていますが、その多くは自慢話が延々と書かれているだけです。日本一の根拠はどこにも見当たりませんでした。

週刊誌連載分の編み直しは著者のファンなら楽しめるのでしょう。ファンでない私はその放言、悪意に満ちた中身に呆れてしまいました。

なんでこんなに著者は怒っているのでしょうか。そういうスタイルが売りの著者ということなんでしょうか。よく分かりません。


[読書雑文]『本で床は抜けるのか』西牟田靖

『本で床は抜けるのか』西牟田靖を読みました。蔵書が増え、「本で床が抜けるかもしれない」という逼迫した状況になった著者の蔵書問題の取組みについて書かれています。

本を処分できない人

感傷的になってなかなか本を処分でない男の蔵書にまつわるエッセイのような本でした。本という共通項はあれどテーマはぼやけています。そのぼやけ具合が家庭問題のオチなんでしょう。

様々な人の様々な増え続ける本への対策とその心情は、積ん読傾向にある人ならば親しみやすく、役に立つ話があるのではないかと思います。

紙の本への想い

いつか読むかも。使うかも。物質的にあることで閃くものが、沸き立つものがあるかも。本は単なる物質ではないものなので捨てたり売るのは抵抗がある。電子本は紙の本と違うからやはり紙の本が良い。

そういうことを本への愛と思うと同じような考え方がいるのだと嬉しく思えます。しかし、著者の場合、物質的な「場所」の問題に対する言い訳になっているように感じました。特に自炊の試みの章ではそれが強く出ていています。

対策色々

床が抜けないような対策をするもよし、書庫などの本を置く場所そのものを増やすもよし、捨てるもよし、電子化するのもよしです。本は場所をとり重たい物質です。その場所と重さに耐えられないならば、さっさと結論づけないと著者のようなことになってしまいます。

本は場所をとります。積ん読をするなら身の丈にあった範囲で楽しむべきでしょう。著者の場合、最終的にはどうにもならなくなって、本で床は抜けないが家庭問題には大きな穴があくことになりました。

そういう意味で、良き反面教師となる本だと思います。


[読書雑文]『だれが「本」を殺すのか』佐野眞一

『だれが「本」を殺すのか』佐野眞一を読みました。本は売れなくなっています。書店、流通、版元、編集社、図書館、書評、電子出版と、その状況を作った犯人をさがしています。

古いが古くない内容

平成13年2月の本に加筆し、平成16年1月に発行した本です。内容には古くささもあえれば変わらないものもあります。

変わらないものは大量出版です。このときにも本の数は多すぎて流通は麻痺し、書店は悲鳴を上げている状況があぶり出されています。その理由として再販制度や経済の仕組みに触れられており、構造的な問題があることが分かります。

ネット書店もまだ黎明期の時代ですから、書店に行っても欲しい本が見つからずに本を読まなくなるというのはある種の答えですし、今もそれはあまり変わってないように思います。

本は特別で大量消費財ではない?

変わったものは本そのもののとらえ方だと思います。著者の愛書家なのでしょう。著者は最後まで姿勢を変えていませんので、その愛書家としての声が端々に出てきます。その内容は「本は大量消費財」なんだと思っている身としては違和感を通り過ぎて、やや気持ち悪さを感じました。

本書は捜査編と検屍編に分かれていますが、当時の本に関するルポルタージュなので明確なまとめも結論もありません。それだけに著者の主張が出てくるたびにまとまりのなさと疲れを感じました。

この本が出版されたときも今も乱読積ん読気味の身としては、可処分時間……もとい暇な時間の使い方が変わっただけだと思います。読書する時間は文字の多い本ではなくて直接感覚に訴えてくるゲームなどに使われるようになっただけです。漫画ですら下に見ているような感じが透けて見える状況ではどうにもならないでしょう。

本書は本を特別視しすぎです。


[読書雑文]『「本が売れない」というけれど』永江朗

『「本が売れない」というけれど』永江朗を読みました。「本が売れない」という状況をざっくりと紹介しています。

「本が売れない」状況

街の本屋、ネットの本屋、活字離れ、電子書籍、ランキングと目線をかえて「本が売れない」といわれている状況がどのようなものかが分かりやすい言葉で書かれています。

そこから分かることは、薄利多売の、特に多売状態がここ数年続いており、構造的に疲労していることです。その構造はただでさえ読者に本が届きにくくなった状況がさらに悪化しています。読者不在です。

本の対する見方や手に入れる手段を変えないと欲しい本は手元に届きませんし、店を構えるだけではメシを食っていけないということが「本が売れない」ということでしょう。ネットが変えた状況に本の売り側がついていけていないから「本が売れない」のだと思います。

薄利多売に多種少量

薄利多売に多種少量が合わさっている状況です。形ある物を売る商売として破綻しているようにしか思えません。変化に乏しい街の本屋さんもつぶれるわけです。


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