[読書雑文]『つながらない生活』ウィリアム・パワーズ(訳)有賀祐子

『つながらない生活』ウィリアム・パワーズ(訳)有賀祐子を読みました。副題は『ネット世間」との距離のとり方』です。原題は『Hamlet’s Blcakberry』です。

つながりの技術革新のたびに人はつながりに悩んでいました。プラトン、セネカ、グーテンベルク、ハムレット、フランクリン、ソロー、マクルーハンの七賢人、そして著者の経験から語られる過度なつながりで失われるものとは何か、どのような対処法をとっていたかについて書かれています。

温故知新

本書のいうつながり過度に陥っているならば、スマホとSNSにより作られたつながりで失っているものがあることに気づきます。このつながり全盛期にあえてつながらないことを、著者と偉人たちを例に書かれているところが面白いところです。

過度なつながりへの対処法

静かなところへ行く、空間を作る、目の前のことに集中するなどありますが、要は騒がしい世間と適度に距離をおいて生活するということです。当たり前といえば当たり前のことなのですが、そのために七賢人がどのようにしていたかを読みながら自分に当てはめてみると、やっているようなやっていないようなことに気づきます。

ネットワーク上のつながりに時間を使いながらでも猛然と創造、対処できる人ならば気になることはないでしょう。しかし、慌ただしすぎてゆっくり考える時間がなかったり、考えが浮かばないことが増えたように思うなら、本書の処方箋のいずれかを試す価値があります。

過度なつながりで失われる「深み」と「間」

本書では「深み」や「間」と表現していますが、一つのことを終えたあとにやってくる余韻、感慨であるとか、何気なく考え事をしてひらめく瞬間のことを総称しています。

時間がないほど忙しすぎると頭はまわらなくなりますし、心にも余裕が無くなります。それをわざわざ自分で招く必要はないはずです。

必要なのは適度につながらないというバランス

なんでも直感的に、即座に反応していると精神的に疲れてきます。落ち着いてゆっくりと振り返ることで得られるものについて考えてみる生活も悪くありません。

スマホとSNSの組み合わせは隙間時間すらも奪ってしまいます。逐次チェックする必要がある情報なのかを一度考えてみると、そのバランスに答えは出るはずです。

この記事を書くのもそのような余韻を必要としています。即座に書くと「なんとなく面白かった。」くらいにしか書けませし、休む暇無く乱読すると内容すら思い出すことが出来なくなることもあります。

一歩踏み込むためには考える「間」が必要なことに気づかされます。その「間」を使って考える、思い出すことで、体験したことは血となり肉となるはずなのです。

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